バス住宅
城北バス住宅
転用住宅と戦災復興 昭和23年(1948)
第二次世界大戦の度重なる空襲によって、大阪市の中心部は広範囲にわたって焦土と化しました。 焼け出された人々の救済のため、大阪市は仮設住宅を建設し、学校や寮、兵舎などを住宅に転用しました。 その一つに廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があります。
旭区豊里町(当時)には、26台のバスをめがね形に配置し、中央の空き地に炊事場や洗濯葉、便所などを設けた大阪市営の城北バス住宅がつくられました。
バスの内部は約2坪半と非常に狭いため、各人が建て増しするなど独自の住空間をつくり出していました。 家賃が安く、隣近所のつながりも深かったことから住み続ける人も多く、城北バス住宅は昭和26年(1951)まで存続しました。
アルバム: 大阪くらしの今昔館
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コメント (8)
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こんな歴史が有ったとは知りませんでした。
城北バス住宅という名前は現在の旭区に有る城北公園の辺りのこと
なんでしょうか?2020年8月15日 17:47 野良猫さくら (3)
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野良猫さくらさん、コメント、お気に入りありがとうございます。
私も城北公園に近いところに住んでいますが、このような事は知りませんでした。
城北公園辺りのようです。2020年8月16日 15:11 すなちゃん (17)
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honda-Zさん、
cibaさん、
P300さん、
ベニズルさん、
テルさん、
みなみたっちさん、
瑞の魁さん、
xkazexさん、
トキゾウさん、
okaji48さん、
38keさん、
kanzeさん、
肥後の風太郎さん、
BSOさん、
昔ライダーHKさん、お気に入りありがとうございます。2020年8月16日 15:15 すなちゃん (17)
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これってジオラマっていいましたよね。それにしても当時は
苦労されたでしょうが、おっしゃる通り人のつながりを通して
ささやかな楽しみもあったんでしょうねぇ2020年8月16日 22:06 9-3 (2)
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9-3さん、コメント、お気に入りありがとうございます。
昔はよかったですねぇ。 人が温かかったように思います。2020年8月17日 20:22 すなちゃん (17)
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雨蛙0922さん、お気に入りありがとうございます。
2020年8月17日 20:22 すなちゃん (17)
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トクさん、お気に入りありがとうございます。
2020年8月19日 08:28 すなちゃん (17)
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ろごきっとさん、お気に入りありがとうございます。
2020年8月19日 08:28 すなちゃん (17)
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