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祥雲寺(広尾5丁目)曲直瀬玄朔墓碑

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写真: 祥雲寺(広尾5丁目)曲直瀬玄朔墓碑

写真: 祥雲寺(広尾5丁目)曲直瀬玄朔墓 写真: 祥雲寺(広尾5丁目)狭山北条氏信 宝篋印塔

mixiよりコピペ――
2012年12月12日 16:19

●曲直瀬玄朔――
まなせ げんさく。初代とともに、日本医学中興の祖と称えられる。
安土桃山時代の医家。2代目道三。
初代道三の妹の子として京都に生まれる。幼くして両親を失ったため、道三に養育される。
天正9(1581)年、その孫娘を娶って養嗣子となり道三流医学を皆伝された。
法眼から法印に進む。
豊臣秀吉の番医制に組み込まれ、関白秀次の診療にも当たる。
文禄4(1595)年、秀次切腹に連座して常陸国に流されるが、のちに赦免され帰京し、朝廷への再出仕も許された。
家康・秀忠に仕え、江戸邸と麻生に薬園地を与えられた。
江戸で没し、薬園地に生前建てていた瑞泉山祥雲寺(のち渋谷へ移転)に葬られた。

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